”恋愛映画のようで恋愛映画でない。主人公の失恋から学ぶ成長物語”
トムとサマーの出会い。運命の出会いってなんだろう?(あらすじ)
2010年に日本公開されたアメリカ映画。主演のジョセフ・ゴードン=レヴィットを一躍有名にした作品です。私の大好きな作品の映画版『モテキ』も影響を受けていて、途中に始まるミュージカルシーンは完全にオマージュですね。どちらも好きなシーンの1つです。LAでグリーティングカードのライターとして働く建築家志望のトム。退屈な日々を過ごしていたけど、ある日上司の秘書としてサマーがやってくる。
乗り合わせたエレベーターで音楽の趣味が合ったことで、運命の恋をしたと思うトム。そこからはじまる500日に及ぶサマーとの日々を、トムにとって、関係が良い時と悪い時を交互に描く事で、恋の甘さと苦さを観客に突きつけてきます。普通の恋愛映画は、結局この恋は運命だった!で片付けることが多いと思うんですが、この映画は、そもそも運命の出会いはあるのか?とリアルに問いかけてきます。
この映画がハマる人、ハマらない人
映画って、その時の気分で見たいとか見たくないとか、ありますよね。例えば、スッキリしたいからド派手なアクション観るとか、泣きたいから、感動する映画を観るとか。特にラブロマンスとのジャンルって、自分を投影しやすいので、すごく影響を受けますよね。私もめっちゃ影響受けます、、、。この映画は、派手な事が起こる映画ではないし、とても現実を描いています。現実を突きつけてくる映画を観るのが私は好きなので、とても楽しめましたが、映画を現実じゃないからこそ観る!という人は、この映画はハマらないかもしれません。確かに、現実から離れて美しいものを観たいのに、こんなリアルな終わり方だとつまらないと思うこともありますね。
トムはどこでしくじった?
トムとサマーは、最初は上手くいきそうなんですよ。28日目に会社のカラオケ・パーティで、トムの同僚がトムの気持ちをサマーに言っちゃうんですよ。それまでに、サマーは恋愛は重いし、運命の恋なんてない。対して、トムは、運命の恋は絶対あると譲らないんです。でもまあ、なんかいい感じやん!と思ってたんですが、帰り道2人きりになってサマーに、『私の事好き?』と聞かれ、トムは、『もちろん好き』、サマー『友達として?』 トム『友達として。』と答えます。サマーの運命の恋なんて信じない!と言われたことに、気が引けたんでしょうかね?でも分かるなぁ、、。その気持ち、、、。とここで、色々評論など調べると『ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル』での500日のサマー評論回で、このシーンの意味について語っていました。
帰り道2人のシーンで、トムとサマーのカットでの2人の切り替えしたときのカットのサイズが違うらしいです。トムはアップなのにサマーは少しトムより小さいらしんです。そのサイズを変えることによって、サマーはやはり最初からそこまで乗り気ではなかった事を表現してたんですねー。ここまで細かい演出だったとは、、、。全く気づきませんでした、、、。要は、トムのしくじりってサマーに恋をしたことだったんでしょうね。でもそんな事は、恋をしてる時には分からないもので、マジレス正論の妹さん(有名になる前のクロエ・グレース・モレッツ素晴らしい役)からも、友人からも忠告されてもトムは分からないです。というか、その状況だと誰でも聞けないですよね。恋の相談って大体が自分の意見は最初から固まっていて、相談する段階では欲しいのは、自分の気持ちへの同意と後押しだけってことが多くないですかね、、。自分だけかな、、、。
個人的な好きなシーン
402日目に、友人のはからいで同僚の結婚式でサマーと再会します。やっぱりトムはサマーが好き。サマーの家の屋上でのパーティーでトムの理想のシーンと実際に起きた現実のシーンを2画面で対比させてます。分かりやすくて良いです。パーティーの途中で、理想と現実の2画面から現実パートの1画面になって、そこには婚約指輪をしたサマーがいたんですねー。トムは、その瞬間会場を後にして1人で帰ります。その帰る街の景色が絵画風になって消しゴムで景色が消えトムはひとりぼっちに。その演出は大好きです、、、。
そのシーンもサマー側から考えれば、トムが勝手に期待して怒って帰っちゃっただけなんですよね。でもトムからしたら、俺の気持ちは分かってるのになんて残酷なことをするんだってことですよね、、。この映画は結局最初からトムとサマーは食い違っていたんでしょうね、、、。上手くいくキレイなラブストーリーとか、恋愛モードの時に可愛い映画だと思って観ると、少しがっかりするかもしれません。失恋した後にこそ観たくなる思わぬ曲者の映画でした。