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ダークナイト

”悪役ジョーカーのキャラクター設定の原型とマンガ進撃の巨人との意外なつながり”

ノーラン版バットマンの最高傑作

クリストファー・ノーラン監督作品の新バットマン3部作の2作目『ダークナイト』です。 バットマンシリーズの映像化は、テレビシリーズに始まり、一度ティム・バートン監督作を中心に4作品映画化されています。 それから約8年、新劇場版として復活しました。 ノーラン版バットマンを観てまず驚いた事は、ダークな世界観を継承しながら作風がかなりシリアスだった事です。 旧シリーズはコミカルなシーンが多くテレビシリーズに至っては、ほぼコメディ作品でした。 しかし、ノーラン版はコメディ要素はなく硬派なアクションシーンの連続で、今までの自分のバットマン像を覆してくれました。

ジョーカーの目的は何?

このジョーカーは、狡猾で秩序を持たない純粋な悪として描かれています。 最初の銀行強盗のシーンでは仲間を皆殺しにし、マフィアの会議に潜入してバットマンを殺す代わりに全財産の半分を要求し、実際に手に入れたがあっさりと大量の現金を燃やしてしまう等行動が全く読めない上、法やルールを完全に無視してバットマンに襲いかかります。自分のイメージでは、アメリカの典型的なアクションと言えば勧善懲悪の世界で、敵は金目的だったりしょうもない復讐が動機だったりとものすごく分かりやすく作られていたんですが、ジョーカーの背景や目的は映画では明かされません。

ジョーカーのキャラ設定の根底には何がある?

Podcastに町山智浩氏という映画評論家がジョーカーの背景を分かりやすく解説していてすごく納得出来たので紹介します。 ジョーカーは失楽園という本に出てくる純粋な悪魔(サタン)が原型のキャラクターです。 失楽園とは、イギリスの17世紀の詩人、ジョン・ミルトンによる旧約聖書の『創世記』をテーマにした壮大な初期近代英語の叙事詩(wikiより)この中に、蛇に唆されたイヴとアダムが、神の禁を破って「善悪の知識の実」を食べ、最終的にエデンの園を追放される部分があります。 この中の蛇が悪魔であり、悪魔は神が作ったアダムとイブをたぶらかし善悪の知識の実を食べさせ、人間を自我に目覚めさせ神から人間を解放する事で神に復讐を果たしました。

なぜ人間を神から解放する事が復讐になるかと言うと、知識の実を食べる前の人間は意志を持たない神の家畜だったからです。 神が愛した家畜としての人間に自我を持たせ神に背かせる事で、神へのリベンジを成功しました。

ジョーカーの恐ろしさ

ジョーカーの行為も、正義の象徴であるバットマンに、有能な知人の地方検事と恋人のどちらかしか助からない状況を作り出し究極の選択をさせたり、囚人達が乗っている船と一般市民が乗っている船の起爆スイッチをお互いの船に持たせ、自分たちが助かるには相手の船の起爆スイッチを押すしかない状況を作りだしたりと人間達に、秩序や正義の選択をさせます。

つまり、ジョーカーの目的は人間の秩序を破壊し、人の心を混沌(カオス)に陥れ破壊することでした。 ジョーカーにとって人間の持っている秩序や正義感は、神から与えられたものであってこの秩序や正義感を破壊しない限り、永遠に神のペットであるという持論のもとに人間本来の自由意志で行動させ、神から解放することがジョーカーにとっての勝利だったんです。

進撃の巨人のテーマに深く繋がる『ダークナイト=失楽園』

そしてこの、Podcastは意外な漫画に影響を与えています。それは、『進撃の巨人』です。 作者の諫山氏は町山氏のファンで多大な影響を受けたと公言しています。特にあるラジオ番組で、進撃の巨人の第1話は町山氏が過去に語っていた『現実と接点を持たせる』事を意識して作っていて、『それじゃ家畜だ!』等のセリフもダークナイト=失楽園をかなり意識してます。 壁の中で外に出ず不自由な中で一生を過ごす人間(憲兵団や商人たち)が、失楽園でいう神の家畜(奴隷の幸福)であり、外に自由を求め突き進んでいくエレン達調査兵団が、神からの解放(地獄の自由)を求めている知恵をつけた人間であり失楽園に出てくる悪魔がイメージではないでしょうか。

神、秩序、体勢、に従う事を疑わないのか?さらに、その道が地獄と分かっていながら自由意志を求めて突き進むのか? ダークナイトでは、自由意志を貫く負の側面をジョーカーとして描き、進撃の巨人では、自らの自由を勝ち取るための正義として調査兵団を描いています。 『奴隷の幸福か、地獄の自由か』自分がそんな状況に置かれたら、地獄の自由!を選ぶ人間になりたいですね。

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