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この志村けんが好き論

”僕は友達でしたけどね”

晩年のコント番組を見なかった理由

バカ殿、変なおじさん、デシ男、ひとみばぁさんなど誰もが知ってるキャラクターを生んだ番組は今も名前を変えて放送されています。 ただ、最近の志村けんのコント番組は見ていません。あんなに大好きだったコントも同じコントをずっとやってるなぁと見てもないのにイメージでそう思っていたんです。

過去に志村けん自身も自らのコントをベタだと語っていました。ドリフや欽ちゃんのコントは、ドタバタ劇でオチも分かりやすかったりします。 だからこそ若い世代からお年寄り世代まで、多くの世代にウケていました。そんなコントを次々に生んだ志村けん。 そんな彼が、晩年とても評価していた芸人が「千鳥」でした。

千鳥の漫才を愛した理由

確か志村けんが最初に評価した漫才は、ドリーム東西ネタ合戦という番組の「おぬし〜」というネタだったと思います。いつもお正月に放送されていた笑福亭鶴瓶と志村けんの共演番組で嬉しそうに千鳥の漫才を語っていたと鶴瓶師匠は、ネタにしてました。千鳥の「おぬし〜」は、ワンフレーズのボケを色んな角度からでてきます。 「あの漫才は、圧倒的な技術がないとできない」と褒めていました。千鳥だからこそ出来る漫才。その漫才にはプロだからこそ分かる圧倒的な技術が詰まっていました。

友達だった大悟

最近のバカ殿などのコントを見ていなかったのは、昔とやっていることが一緒でしょと勝手に思っていたからです。しかし、ベタをやるには技術がいります。 そして、見てない最近のコントも細かな技術、マイナーチェンジしていると思って見るとまた違う楽しみ方ができると思いました。今、亡くなってからあらてめてコントを 見ると何回見てもオチが分かっていても、おもしろいんですね。柄本明と共演していた芸者コントとかほんとに最高です。 確かな技術と細かな人物描写。志村けんが生んだコントは、ずっと残り続けると思います。

最後に志村けんの死後、ゆかりのある芸能人がコメントを寄せていますが、特に印象深いこのコメントで終わりたいと思います。 くしくも亡くなってからスタートした新番組「志村友達」。亡くなってからは、志村けんの友達や過去の共演者を呼んで思い出のコントやエピソードを語る番組として今も放送されてます。 その初回、司会のアンタッチャブル柴田と千鳥大悟は、志村の友達という設定について、

「友達なんですかね?」と笑いながら確認をすると、柴田は「一応ね……後輩、後輩だけど」と大笑い。 続けて大悟は、「ワシら……ワシらもこれ友達って設定なんですか?」と聞き返し、柴田さんは「友達でしょ! 大悟はだって」と、 ふられた大悟は、「僕は、友達でしたけどね」

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